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ストレスの正体は「相手の言うとおりにしなきゃ」という思い込みだった

無意識に「相手の言うとおりにしなきゃ」と思っていたことに気づきました。

自分の行動が相手の価値観で左右される感覚。

相手の態度や言葉に対して納得できてなくても、結局行動は相手の言うとおりにしてしまう…

相手に対してストレスや不満を抱いていたのは、「相手の望む通りにしなきゃ」という前提が自分のなかにあったからかもしれません。

無意識の「従わなきゃ」がストレスになる

ストレスって、相手の言動そのものから生まれるわけじゃないと思っています。

「それに従わなきゃいけない」
「正解として受け取らなきゃいけない」

という、前提からストレスが生まれる。

前に働いていた職場で、新人なのに無理なスピードを求められたときにすごく不満とストレスを感じていました。

でもそれは「求められたら応えなきゃ」という前提を自分が持っていたから。

もし最初から

「へー、そうなんだ〜(情報として受信)」
「ま、現実的に無理なものは無理だけどね☆」

という感じでいられたなら、不満もストレスも発生しなかったはずです。

この差は、自分のなかに「相手に従う前提」があるかないかだけ。

多数派の「こうあるべき」に飲まれていた

もう少し掘り下げると、「世の中の多数派に対してこうであるべき」という感覚が強すぎて、それと自分の感覚を切り分けられていなかったのだと思います。

構造にするとこうなります。

  1. 多数派の価値観を突きつけられる
  2. 無意識に「それに合わせなきゃ」に変換される
  3. 自分の特性・感覚とズレる
  4. ストレス・不満・自己否定が発生する

これは私が弱いからじゃなく、むしろ周囲をちゃんと感じ取れるからこそ起きていたことだと、今は思っています。

「聞かない」じゃなく「従わない」でいい

完全に切り分けたら、相手が多数派であっても、社会がどんな価値観であっても、「自分はこう」という行動だけでいい。

これは自己中心でもわがままでもなく、健全な自律だと思います。

整理するとこうなります。

  • 相手の意見 → 情報として聞く
  • 評価や要求 → 採用するかは自分で決める
  • 多数派の価値観 → 参考資料のひとつにする

多数派の価値観を突きつけられたときの「へー、そうなんだ〜」は、心を守る最高のフィルターでした。

他人の価値観を「行動の原因」にしない

他人の価値観を自分の行動と切り離すことができると、ストレスは激減します。

不満は「観察」に変わります。

自己否定が起きにくくなります。

長い間、無意識に「相手の言うとおりにしなきゃ」という前提で私は動いてきました。

でもその前提自体を疑い、手放したとき、かなり楽になれたと実感しています。

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