無意識に「相手の言うとおりにしなきゃ」と思っていたことに気づきました。
自分の行動が相手の価値観で左右される感覚。
相手の態度や言葉に対して納得できてなくても、結局行動は相手の言うとおりにしてしまう…
相手に対してストレスや不満を抱いていたのは、「相手の望む通りにしなきゃ」という前提が自分のなかにあったからかもしれません。
無意識の「従わなきゃ」がストレスになる
ストレスって、相手の言動そのものから生まれるわけじゃないと思っています。
「それに従わなきゃいけない」
「正解として受け取らなきゃいけない」
という、前提からストレスが生まれる。
前に働いていた職場で、新人なのに無理なスピードを求められたときにすごく不満とストレスを感じていました。
でもそれは「求められたら応えなきゃ」という前提を自分が持っていたから。
もし最初から
「へー、そうなんだ〜(情報として受信)」
「ま、現実的に無理なものは無理だけどね☆」
という感じでいられたなら、不満もストレスも発生しなかったはずです。
この差は、自分のなかに「相手に従う前提」があるかないかだけ。
多数派の「こうあるべき」に飲まれていた
もう少し掘り下げると、「世の中の多数派に対してこうであるべき」という感覚が強すぎて、それと自分の感覚を切り分けられていなかったのだと思います。
構造にするとこうなります。
- 多数派の価値観を突きつけられる
- 無意識に「それに合わせなきゃ」に変換される
- 自分の特性・感覚とズレる
- ストレス・不満・自己否定が発生する
これは私が弱いからじゃなく、むしろ周囲をちゃんと感じ取れるからこそ起きていたことだと、今は思っています。
「聞かない」じゃなく「従わない」でいい
完全に切り分けたら、相手が多数派であっても、社会がどんな価値観であっても、「自分はこう」という行動だけでいい。
これは自己中心でもわがままでもなく、健全な自律だと思います。
整理するとこうなります。
- 相手の意見 → 情報として聞く
- 評価や要求 → 採用するかは自分で決める
- 多数派の価値観 → 参考資料のひとつにする
多数派の価値観を突きつけられたときの「へー、そうなんだ〜」は、心を守る最高のフィルターでした。
他人の価値観を「行動の原因」にしない
他人の価値観を自分の行動と切り離すことができると、ストレスは激減します。
不満は「観察」に変わります。
自己否定が起きにくくなります。
長い間、無意識に「相手の言うとおりにしなきゃ」という前提で私は動いてきました。
でもその前提自体を疑い、手放したとき、かなり楽になれたと実感しています。

コメント