40歳になって、ようやく「身のほどをわきまえられるようになってきたな」と思うようになりました。
若い頃の私にとって、この言葉はあきらめや卑屈さの象徴でした。
自分を低く見積もって、挑戦する前に引っ込むこと。そんなイメージがあったのです。
でも今は、まったく違う意味で受け取っています。
私にとっての「身のほどをわきまえる」は、自分を下げることではなく、自分が今どこに立っているのかを正しく知ることです。
そう思えるようになった3つのきっかけを書いてみます。
①「大人」の定義が変わった
以前の私は、大人とは何でも知っている人だと思っていました。
今は、こんな人を「大人」だと思っています。
大人とは、答えを出し切った人ではありません。
迷いながらも考え続けて、前に進める人のことです。
②グレーを受け入れるのは、本当に難しい
私はあいまいな状態がとても苦手です。
「結局どっちなの?」とはっきりさせたくなるし、宙ぶらりんのままだと落ち着きません。
でも世の中のほとんどのことはグレーです。
白黒はっきりしていることのほうが、実はずっと少ないのだと気づきました。
それからは、
と考えて、物事をできるだけ俯瞰して見るようにしています。
そうすると、「どっちなの?」と焦る気持ちが少しずつ静かになりました。
③大人は、意外と大人じゃない
周りの大人を見て、「この人、全然大人じゃないな」と感じることがあります。
感情的になったり、決めつけで話したり、人のせいにしたり。
そんな場面を目にするからです。
若い頃は、それが絶望でした。
「大人がこれなら、世の中どうしようもない」と思っていたのです。
でも自分が大人と呼ばれる年齢になった今は、「自分だけが未熟なのかも」という苦しさが消えて、むしろ気が楽になりました。
年齢と成熟度は比例しません。
大人は、自分が思っているほど大人じゃないのです。
まとめ
「身のほどをわきまえる」とは、自分を卑下することではありません。
40歳をすぎて、ようやくそれができるようになってきました。

コメント