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怒りは二次感情 —— “自分のせいで” 相手は怒る?

私は境界知能で、ASD傾向もあります。

長い間、「私は人を不快にさせてしまう」「気づかないうちに人を怒らせてしまう」と思っていました。

でも、あるとき「怒りは二次感情である」という考え方を知り、その見方が少し変わりました。

怒りは「コップが溢れた状態」

心理学では、怒りは「最初から湧き上がる感情ではない」と言われています。

怒りの手前には、必ず「一次感情」と呼ばれる本音の感情があります。

「不安」「悲しさ」「寂しさ」「惨めさ」「無力感」……

これらの感情が積み重なって、「心のコップ」がいっぱいになったとき、溢れ出したものが「怒り」として表れるというイメージです。

なぜ、悲しさや不安ではなく「怒り」に変換されるのでしょうか。

「悲しい」「怖い」という感情は自分の弱さをさらけ出してしまうのに対し、「怒り」は強く攻撃的なエネルギーを持つため、心の痛みから自分を守る「防衛反応」として機能しやすいからです。

よく怒る人は「問題解決能力」が低い?

よく怒る人は、次の2つの能力が不足している状態にあると言えます。

①感情の調整能力(エモーショナル・レギュレーション)
自分の中に湧いた不快な感情を、言葉にして落ち着かせたり、客観的に整理したりする力。
この力が弱いと、心の中に溜まった「不安」や「惨めさ」を自分では消化しきれないため、「怒り」という形で外に出してしまいます。

②対人的・論理的な問題解決能力
目の前のトラブルを、対話や仕組みで解決する力。
怒りで相手を萎縮させることは、短期的に従わせる効果はあっても、根本的な問題を解決しません。

“怒り”という反応は、人間の「扁桃体」という原始的な脳の部分が司る、非常にコストの低い反応です。

一方、論理的に考えて言葉で解決するには、脳の「前頭葉」という高度な部分をフル活用する必要があります。

よく怒る人は、この高度な問題解決能力を使わず(使えず)、最も原始的な手段に頼っている状態とも言えます。

「感情の責任」は受け取り手にある

アドラー心理学では、「感情の責任は、その感情を抱いた本人にある」と考えます。

誰かが何かをしたとき(それがどんな行動であれ)、それをどう受け取るか、どう感じるか、怒るかどうか——その選択をしているのは、相手自身です。

同じ状況でも、受け流す人もいれば、丁寧に対応する人もいます。

そこで「怒り」を選ぶのはその人自身の選択であり、その人の「感情処理の限界」でもあります。

「自分が悪い」という思い込みを手放す

私はずっと、「自分が人を怒らせている」と思っていました。

境界知能やASD傾向があることで、暗黙のルールを読み取れなかったり、伝え方が噛み合わなかったりすることは確かにあります。

でも、それに対して怒りという手段を選ぶかどうかは、相手が決めることです。

「私は私のベストを尽くしている。それに対してどう反応するかは、相手の知性と品性の問題である」

この考え方は、アドラー心理学でいう「課題の分離」に近い考え方です。

自分が変えられることと相手が決めることを、きちんと切り離して考える。

それが、心を守ることにつながります。

まとめ

  • 怒りは「一次感情(本音)」が溢れ出した、二次的な感情
  • よく怒る人は、感情処理や問題解決の力が追いついていない可能性がある
  • どう感じるかの選択権は、常に「受け取り手」にある
  • 相手の怒りを「自分のせい」と受け取る必要はない

「自分が人を怒らせてきた」と思っていた方にとって、この視点が少しでも心を軽くするきっかけになればうれしいです。

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