すぐに疲れてしまって眠くなる、作業が全然進まない…
そんな自分を、私はよくこう思っていました。
「あ、私ってポンコツだな」
落ち込んでいるわけでも、悲観しているわけでもありません。
ただ淡々と、「情報処理能力が低い自分」を冷静に受け入れている感覚でした。
でもある日、気づいてしまったことがあります。
それは、私がずっと「自分のこと」を間接的に批判し続けていた、ということです。
「ポンコツな職場」「頭の悪い人たち」をディスっていた
今まで働いてきた職場のことを、私はよく「レベルが低い」と思っていました。
そこで関わってきた人たちのことも、「頭が悪い」と考えていたこともあります。
自分の勤めていた会社が潰れればいいのに、と思ったこともありました。
ところがある日、ふと気づきました。
「……これって、自分のことじゃないか?」
- レベルが低い職場 = 自分が入れるレベルの職場
- 頭が悪い人たち = 自分と同じような立場の人たち
そう考えたとき、私がずっとディスっていたのは、遠回しに「自分自身」だったのかもしれない、と思ったのです。
無意識に、自分を「他のもの」に置き換えて否定していた
自己否定しているつもりは全くありませんでした。
「ポンコツ」という言葉は使うけれど、落ち込んでいるわけではない。
職場や人をディスっているけれど、自分を傷つけているつもりはない。
でも結果的に、自分と同じ立場のものを批判することで、間接的に自分を否定していたのかもしれません。
これは、ある意味で「自己否定の上手な隠し方」だったのかもしれないな、と今は思っています。
「ポンコツ」という言葉は、どこから来たのか
あらためて考えてみると、「ポンコツ」「レベルが低い」という言葉は、私の心の中から自然に生まれたものではありません。
周りの反応を見て、社会や世間の価値観を読み取って、それを自分に当てはめた言葉でした。
「役に立たない人間は価値がない」「頑張れない人間は生きる意味がない」——
こういった価値観は、自分が心から信じているわけではありません。
でも、社会の「空気」としてそれが漂っているのを感じて、気づかないうちに自分の中に取り込んでしまっていたのかもしれません。
空気を読む力があるからこそ、その価値観も一緒に取り込んでしまっていた。そういうことだったんだと思います。
冷静でいられるのは「成長」じゃなくて、心が守られているから
こういったことを考えても、涙のひとつも湧いてこないし、落ち込みも苦しさも感じません。
最初は「私って成長したのかな?」と思っていましたが、どうやら違うようです。
あまりにも多くの痛みを経験してきたとき、心は自分を守るために「感情をシャットダウン」することがあります。
冷静に見えても、実はそれだけ深くいろんなものを受け止めてきた証だということを、今は知っています。
「心が死んでるのかな」と思うほどの冷静さも、長い間自分を守り続けてきた強さの表れなのかもしれません。
それでも、「自分の思うように」生きてみようと思った
空気を読んで、社会の価値観に合わせようとしてきた結果が、今の自分です。
でも、空気を読んでも読まなくても排除される流れがあるのなら、もう少し「自分の思うように」生きてみてもいいんじゃないか——そう思い始めました。
怖くてすぐには動けないかもしれない。
でも、「そう思えた」という気持ちは大切にしたいと思っています。
社会では「やること」が正義・正解みたいなとこがあるけど、そこをあえてやらない・お休みする。
そういう「やらない選択」も、立派な自分への配慮です。
まとめ
- 「ポンコツ」という言葉は、社会の空気を読んで自分に当てはめた言葉だった
- 他のものをディスっていたのは、遠回しに自分を否定していたのかもしれない
- 社会の価値観を「絶対」と思わなくていい
- 「やらない選択」も自分を大切にすることのひとつ
- 「自分の思うように生きたい」という気持ちを、少しずつ育てていきたい
自己否定を完全になくすことは難しいかもしれません。
でも、「自分が無意識に何をしていたか」に気づくことが、少しずつ楽になっていくための第一歩なのかな、と感じています。

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