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「境界知能」は1970年代に制度の外へ——国に見放された代わりに、企業が”受け皿”にされたのかもしれないって思ってる

1970年代半ばより前は、今で言う「境界知能」(IQ70〜85前後)の人たちは、「軽度知的障害」として支援の対象に含まれていました。

でも1970年代後半以降、知的障害の診断基準がIQ70未満(+適応機能の問題)と明確化されてから、IQ70〜85の人たちは制度の枠から外れることになりました。

知能が平均以下で困りごとがあっても、“困っている側”として認定されなくなったんです。

「国が見放した」という見方

診断基準の変化を別の言葉で表現すると、「国が見放した」とも取れます。

「軽度だからなんとかなるだろう」
「働けるのだから支援はいらない」

——そんな前提が暗黙のうちに組み込まれ、困難を抱えながらも「あなたは支援の対象外です」と言われ続けてきた人たちがいます。

学校では普通級、ついていけなくても支援されない。

社会に出て困りごとがあっても「自己責任」。

助けを求めても「障害者じゃないから」助けてもらえない。

これは個人の問題ではなく、社会問題だと私は思っています。

国は企業に”足かせ”をかけている?

そこでちょっと考えました。

日本では、企業が従業員をなかなか解雇できない解雇規制があります。

どんなに仕事の能力が低くても、簡単にクビにはできない仕組み。

障害者雇用は義務だし、終身雇用とか、一見「労働者保護のための制度」に見えるけど…

もしかしたら
「“福祉で拾えない人”を企業の中で吸収する仕組み」がつくられてるんじゃないかって。

国は境界知能(平均以下の知能)の人たちを支援の枠から外す代わりに、企業に「一度雇ったら面倒見てね」という形で“足かせ”をかけているのかも…?

と、ちょっと思っています。

しょせん境界知能当事者レベルの考えごとだけど。

現実との乖離

仮にそういう仕組みだったとして、現実はうまく機能していないと感じます。

覚えの悪い不器用な人や職場になじめない人は、結局は排除されてしまうことも多いから。

企業は効率や利益を優先するので、「支援があれば十分働ける人」は見えない壁にぶつかりやすい。

国がどれだけ制度を整えていたとしても、その場で受け入れられなければ居場所はありません。

言語化して伝えたい

私は境界知能当事者です。

「なんでこんなに生きづらいんだろう」ってずっと思っていたけど、こうして歴史的・社会的な背景を知ることで、少しずつ「自分のせいじゃなかったんだ」と感じられるようになりました。

個人の苦しさは、社会の構造から生まれている部分があります。

それを言語化して声にしていくことで、同じように感じている誰かに届けられたらいいなと思っています。

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