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「自分を知らない」のは、「舵がない状態」で社会に出ているということ

「自分を知ること」が、「生きる土台」だと思っています。

「舵がない状態」は生きづらい

「判断の基準」が自分の中にないと、生きづらくなります。

誰かの許可、その場の空気、正解っぽいもの、普通、などにすがらなくてはいけなくなるからです。

  • 何が好きか分からない
  • 何が苦手か曖昧
  • どこまでなら無理せずできるか知らない

こういう状態だと、人は自分以外のものに判断を委ねるしかなくなります。

それが積み重なると、気づかないうちに自分の人生を他の何かに明け渡してしまうことになる。

これは「舵がない」状態です。

船(“自分”という人間)はあるのに、どこへ向かうかを決める機能が備わっていません。

生きづらさは「能力不足」じゃない

生きづらさをメンタルの弱さや社会性のなさ、根性の問題だと思っていた時期がありました。

でも今は、そうじゃないと思っています。

「自分の取扱説明書」を持たないまま、社会に出ていた——それだけのことだったんじゃないかと。

どんなものでも、取扱説明書なしで完全に使いこなすのは難しいですよね。

それと同じで、自分のことを知らないまま社会という環境に放り込まれたら、うまくいかなくて当然です。

能力の問題ではなく、情報の問題。

自分を知るための作業

「自分を知る」というと、大げさなことのように聞こえます。

でも実際にやっていることは、すごく小さなことです。

  • 嫌だな…違和感があるな…と感じたとき、それを無視しない
  • 「私はどう感じた?」という問いを、ちゃんと自分に向ける
  • やりたいことを言葉にしてみる

こういう小さな積み重ねを少しずつしていくことで、だんだん自分がみえてくる。

難しい分析をする必要はなくて、「感じたことを無視しない」だけでも、全然違うと思っています。

小さな判断を他人に委ねない

ある日、野菜を買うのに「買っていいか」の許可をとる電話をする、という変な夢を見ました。

誰に許可をとっていたかまでは覚えていないけど、そもそも野菜を買うのに誰かの許可っていらないですよね。

「野菜を買う」というレベルの日常でごくあたりまえの行動も、自分で決められず誰かに判断してもらおうとすることが、気づかないうちにおこります。

ことの大小に関係なく、ものごとの判断を他人に委ねていると、「他人が決めたこと」で自分の人生が埋め尽くされてしまいます。

「自分の人生を生きる」というのは、夢を叶える!みたいな壮大なことじゃなくて、自分自身で少しずつ、日頃の小さな判断をきちんとしていくことなんだと思っています。

「自分はどう思う?」

「自分はどうしたい?」

心の中で、自分への問いかけを習慣にしてみてください。

生きづらさは「自分を知るための手がかり」

私は今、自分のことをなにもかも全部わかっているわけではありません。

でも、「何が合わないか」は分かる。

「何が苦しいか」は分かる。

「何がうれしいか」も、少しずつ分かり始めています。

小さな気づきの積み重ねで、自分のことがだんだんわかってきます。

自分でも見過ごしてしまうくらい小さな「嫌なこと」をしないだけでも、生きづらさは少しずつ減らしていける。

生きづらさは「自分を知るための手がかり」でもあります。

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