昔、「労働者の権利」なんてものはほぼ無いに等しいものでした。
今の私たちが「あたりまえ」だと思っている労働者の権利
——有給休暇、残業代、最低賃金——
これらは、「最初からあったもの」ではありません。
かつて弱者として苦しんだ先人たちが、声を上げ、行動し続けた積み重ねの結果として、今の法律や権利が存在しています。
「今あるもの」はあたりまえじゃない
「人権」という概念について考えてみます。
なぜ「人権」という概念があるのか?
それはきっと、昔は「人権」というものがなかったからです。
言葉として存在していないものは、守られない。
奴隷に人権がなかった時代、
労働者に権利がなかった時代、
女性に選択権がなかった時代——
それは、その状態が「言葉になっていなかった」ことでもあります。
声を出すということは、単なる自己表現ではありません。
「私はここにいる」「この状態は実在する」と世界に刻む行為です。
概念ができる→「あるものにする」→出来事が起こる
整理すると、こういう流れになります。
- 誰かが苦しんでいる状態がある
- それに「名前」がつく(言語化される)
- 社会が認識できるようになる
- 対策や制度が生まれる
病名がつく、状態が言語化される、法律や制度ができる——
この流れは、歴史を通じて繰り返されてきたものです。
「あるものにする」という行為が、世界を変えていく。
言葉にすることで、個人の問題が「社会の問題」になる
私は境界知能当事者です。
「境界知能」という言葉がなかったら、私は今でも「なんとなく人より不器用な自分」を説明できないまま、個人の問題として抱え続けていたと思います。
「境界知能」という言葉があることで、困りごとを抱えた個人の問題が「社会の問題」になる。
「境界知能」という言葉があったから、
私は自分の状態を理解できました。
人に説明できるようになりました。
対策を考えられるようになりました。
そして、このブログで声を出せるようになりました。
発信は「存在している」を主張する行動
私がブログを書くことは、小さなことかもしれません。
でも、「境界知能という状態が存在する」「こういう生きづらさがある」と声にすることは、見えなかったものを見えるようにする行為です。
昔、声を上げた先人たちがいなければ、今の権利はなかった。
大きな話ではなく、ただ自分の言葉で「これがある」と言い続けること。
それが「あるものにする」ことにつながっていくと、信じています。

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