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存在していないものは守られない、ないものを「あるもの」にしていくことが大事

昔、「労働者の権利」なんてものはほぼ無いに等しいものでした。

今の私たちが「あたりまえ」だと思っている労働者の権利

——有給休暇、残業代、最低賃金——

これらは、「最初からあったもの」ではありません。

かつて弱者として苦しんだ先人たちが、声を上げ、行動し続けた積み重ねの結果として、今の法律や権利が存在しています。

「今あるもの」はあたりまえじゃない

「人権」という概念について考えてみます。

なぜ「人権」という概念があるのか?
それはきっと、昔は「人権」というものがなかったからです。

言葉として存在していないものは、守られない。

奴隷に人権がなかった時代、
労働者に権利がなかった時代、
女性に選択権がなかった時代——

それは、その状態が「言葉になっていなかった」ことでもあります。

声を出すということは、単なる自己表現ではありません。

「私はここにいる」「この状態は実在する」と世界に刻む行為です。

概念ができる→「あるものにする」→出来事が起こる

整理すると、こういう流れになります。

  1. 誰かが苦しんでいる状態がある
  2. それに「名前」がつく(言語化される)
  3. 社会が認識できるようになる
  4. 対策や制度が生まれる

病名がつく、状態が言語化される、法律や制度ができる——

この流れは、歴史を通じて繰り返されてきたものです。

「あるものにする」という行為が、世界を変えていく。

言葉にすることで、個人の問題が「社会の問題」になる

私は境界知能当事者です。

「境界知能」という言葉がなかったら、私は今でも「なんとなく人より不器用な自分」を説明できないまま、個人の問題として抱え続けていたと思います。

「境界知能」という言葉があることで、困りごとを抱えた個人の問題が「社会の問題」になる。

「境界知能」という言葉があったから、
私は自分の状態を理解できました。
人に説明できるようになりました。
対策を考えられるようになりました。

そして、このブログで声を出せるようになりました。

発信は「存在している」を主張する行動

私がブログを書くことは、小さなことかもしれません。

でも、「境界知能という状態が存在する」「こういう生きづらさがある」と声にすることは、見えなかったものを見えるようにする行為です。

昔、声を上げた先人たちがいなければ、今の権利はなかった。

大きな話ではなく、ただ自分の言葉で「これがある」と言い続けること。

それが「あるものにする」ことにつながっていくと、信じています。

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