無価値感が強かった頃、私はよくこう思っていました。
「私、なんで生きてるんだろう?」
境界知能の当事者である私は、社会に出たとき排除されやすい側の人間です。できないことが多く、人より時間がかかる。「自分は社会的に価値のある人間だ」という感覚が、どうしても持てませんでした。
この記事では、そんな私が「ある視点の切り替え」によって、少しだけ楽になれた考え方をお伝えします。
「存在価値がない」という悩みの正体
悩みのほとんどは”社会的な目線”から生まれている
自分を責めてしまうとき、頭の中にはこんな声が響いていませんか?
- 働けないと価値がない
- 自分は人より劣っている
- もっとちゃんとしなきゃ…
これらはすべて、「社会」という枠組みの中で生まれた概念です。社会のルールや評価基準に照らし合わせたとき、はじめて「価値がある/ない」という比較が生まれます。
「自然的な目線」に切り替えてみる
人間を”自然”と”社会”に分けて見る
私が楽になれたきっかけは、「人間を”自然的な存在”と”社会的な存在”に分けて見る」という視点でした。
どんなに地位のある人でも、食べなければ死にます。
どんなに偉い人でも、排泄をします。
これは揺るぎない事実です。
この視点に立つと、「スゴイ人」を必要以上に神格化しなくてよくなります。誰かを「自分とは別次元の存在」として見すぎると、相対的に自分が惨めに感じてしまいます。でも「ただの生物」として並べたとき、人間はみんな同じ「食べて排泄するだけの物体」です。
「自然界」には”存在価値”という概念がない
さらに気づいたことがあります。
自然界には、そもそも「存在価値」という概念が存在しません。
人が一人死んだところで、地球も宇宙も何も変わらない。莫大な権力を持った人が亡くなっても、地球がなくなるわけではない。
「存在価値」とは、あくまでも社会という人間が作った枠組みの中だけに存在する概念なのです。
社会的な評価軸だけで自分を測らなくていい
境界知能の私は、社会的な評価軸では不利なことが多いです。でもそれは、あくまで「社会的な目線」で見たときの話。
自然的な目線でゼロベースに戻すと、優劣の概念自体がリセットされます。
人と比べて落ち込んだとき、無価値感に襲われたとき——そういうときほど、一度「社会的な目線」から意識を切り離してみてください。
まとめ
- 「存在価値がない」という悩みの多くは、社会的な目線から生まれている
- 「自然的な目線」に切り替えると、優劣の概念がいったんリセットされる
- 自然界には「存在価値」という概念そのものが存在しない
- 人を神格化しなくていい
- 自分を必要以上に下に置かなくていい
完全に悩みが消えるわけではありません。でも「少しだけ楽になれる」、そんな視点として持っておくだけで、しんどい日の支えになるかもしれません。

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