はじめまして、みさきです♪
1985年(昭和60年)生まれ。
私は境界知能で、発達障害の特性を持っています。
家族は夫と犬と私。3人仲良く暮らしています。
夫とは30歳差の超☆年の差婚。子どもはいません。
犬は元保護犬の女の子♡
以前からずっと、自分自身に対して『人とは違うなにか』を感じ取っていました。
でもそれがなにかはわからず…
大人になった今、ようやく自身が
●境界知能であり
●発達障害グレーゾーンであることがわかりました。
生まれたときは…
私は『口唇口蓋裂』という、奇形状態で生まれました。
それにともない、うまく発音することができず保育園に入る前(2歳くらいのとき)に『ことばの教室』へ通いました。
ちゃんとしゃべれるように、正しい発音の練習をするためです。
友だち100人できるかな♪は幻想…ピカピカの1年生☆
小学校にあがると、学校生活での困難がありました。
それは、
・学校の授業についていけないということと、
・人とコミュニケーションがとれないということ。
学習面で本格的につまづいたのは小学3年生のときから。
学習内容に分数や割り算が出てくるころです。
コミュニケーションがとれないのは、しゃべれないから。
声を出そうにものどがつまる感じがして、思うように声が出せない。
今思うと、『場面緘黙』だったのかも?もちろん友だちなんできませんでした。
小学6年生までおねしょをしていて、ほかの子よりも確実に成長は遅かったと思います。
中学生になると…
中学生になると、小学生のころよりは人と話せるようになり、おねしょもしなくなりました。
女子らしくいつも一緒にいる友だちもできました。
ただ、しゃべれるときとしゃべれないときがあり、場面緘黙的な症状は当時もまだありました。
小学生の時はほとんどしゃべれずにいたので
コミュニケーションの経験値は浅く、相手が笑っている(機嫌がいい)とホッとするというか…
この頃からバカを演出するようになりました。
みんな笑ってくれるから、それがうれしくて。
私はピエロでした。
高校生になり…
高校生になると社会性が少し身についてきて、女子高生らしい交流もできるようになっていきました。
女子特有の『連れション』もマスター☆我ながら上出来です。
当時はケータイがほしくてほしくて…15歳から始めたアルバイト。
この頃は自分の特性など知る由もないので、何も考えず接客業ばかり選んでいました。
でもこのアルバイト経験が、今思うととても大きな学びになったと思っています。
社会人になり…
高校卒業後、すぐに働き始めました。
高校在学中にしていた就職活動で何度か落ちて、社会に出てから正社員として初めて勤めたのが地元のスーパーでした。
ここで今の夫と出会います。
なんて運命的…♡なーんてね(笑)
夫とは23歳の時に付き合い、同棲し、29歳で結婚。
その間に職と住居地を転々としました。
現在勤めている会社には自身の特性をありのまま伝えました。
その結果、あまり負担にならないようにと合理的配慮を受けながら働くことができていています。
これから…
自分が境界知能×発達障害グレーゾーンであることが判明したことで
今までの生きづらさの原因がわかり
これからの人生、もっと楽しく生きたいなぁ♪と思いました。
日々対策をとり、工夫しながら暮らしています。
境界知能は障害ではありません。
発達障害の特性は持っているものの、日常生活・社会生活は問題なく送れているため、障害診断はおりません。
健常者として、食品製造工場に正社員として勤務しています。
境界知能であっても、発達障害の特性を持っていても、学ぶことはいくらでもできる。
ただ、人よりも少し時間がかかるだけです。
わからないことがたくさんあって、周りについていけなくて。
つらくみじめな思いもいっぱいしてきました。
それでもこれから先は、少しでも充実した人生を歩みたい。
自身の特性をはじめ、お金のこと・歴史など、自分が興味を持ったことはゆっくりと時間をかけて学び、自分を磨き続ける日々です。
学ぶほどに、自分の置かれた環境はとてもありがたいものなんだと痛感し
感謝の心をつねにもち、毎日を過ごしています。
このブログは『ゆっくり学んで楽しく生きる』がテーマです。
困りごとを少しでも軽減するため、日々学び実践しています。
それが、自分に合った生きやすい環境づくりにつながります。
生きづらい毎日は、自分の行動次第で楽しい毎日に変えられる。
私の思考や行動が、誰かの役に立ってくれたらうれしいな♪