ずっと、「雑談が苦手=社会性が低い」と思い込んでいました。
輪に入れない、会話が続かない、盛り上がれない。
だから自分はコミュニケーション能力が低い人間なんだと、ずっと思っていました。
でも、それは違うもしれない——と、少し思えるようになったので書いておこうと思います。
「社会性」には、種類がある
「社会性がある人」
多くの場合それは「その場の空気を壊さないコミュニケーションができる人」を指していると思います。
でも実際に必要な社会性は、それだけではありません。
- 情緒的社会性:雑談で場を和ませる力。中身よりもリズムや同調を重視する。
- 機能的社会性:情報を正確に伝え、役割を全うし、問題を解決する力。
ASD傾向がある人や論理的な思考を好む人は、後者の「機能的社会性」が非常に高いことが多いそうです。
雑談は苦手でも、「困っている人を具体的に助ける」「正確な仕事をする」という形で、立派に社会に貢献しています。
誠実さゆえの、苦手意識
雑談が苦手な理由として、「嘘をつきたくない」「適当なことを言いたくない」という強い誠実さがある場合があります。
定型発達的な雑談は、内容の正確さよりも「リズム」や「同調」を優先します。
言葉のキャッチボールをすること自体が目的で、情報の伝達は二の次。
でも、言葉を「情報の伝達手段」として捉えている人にとっては、「特に伝えることがないのに話す」という状況が矛盾として感じられます。
これは社会性が低いのではなく、「言葉に対する責任感が強い」という個性の表れ。
言葉をとても大切にしているんだと思います。
「脳の処理コスト」の問題
雑談は、非常に高度な脳のマルチタスクです。
- 相手の表情や声のトーンを読み取る
- 自分の発言が相手にどう思われるか予測する
- 適切なタイミングで相槌を打つ
- 興味のない話題でも話を合わせる
これらを同時にこなすのは、脳にとって膨大なエネルギーを消費します。
雑談が続かないのは能力が低いからではなく、「脳が情報の取捨選択を丁寧に行いすぎているから」かもしれません。
雑談できなくても、社会に貢献できる
雑談は数あるスキルのうちのひとつに過ぎず、雑談ができないからといって、人間としての価値や社会人としての適格性が否定されるわけではありません。
でも場所によっては、雑談ができない人を「異質」として排除しようとするところがあるかもしれない。
「雑談は苦手だけれど、専門性に優れ、誠実で、論理的な人」という価値を見てくれる人もいるかもしれない。
価値観は時と場合、時代や場所や人によって変わります。
私自身、「突き詰めて考える力」や「言葉に誠実であろうとする姿勢」は、雑談が苦手であることと表裏一体だと思っています。
雑談が苦手なことが、「私独自の社会性」なんじゃないかって今では思えています。

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